2016年7月10日日曜日

Atlantis Essences アトランティスエッセンス 001 の映像を youtube にアップしました。

Atlantis Essences アトランティスエッセンス 001 の映像を youtube にアップしました。

この映像のナレーションは、2010年12月1日のチャネリングを録音したものです。

この時のチャネリングをきっかけにして、私はアトランティスエッセンスを作ろうと決意しました。

画像は、2011年に、私がギリシャに行ってアトランティスエッセンスを作った際の、
アテネ空港着陸時の様子
アテネからデルフィまでのバスの車窓風景
デルフィの風景
デルフィからアテネまでのバスの車窓
を時間系列で並べています。

2011年にアトランティスエッセンスが作られ始めてから、早5年間が過ぎようとしています。
その間に、アトランティスリングは完成し、好評を得ているのですが、肝心の本体であるアトランティスエッセンスがまだ出来上がっていません。

今回、アトランティスエッセンスの最初のステップであるチャネリングのビデオを、ようやく作成し youtube にアップすることができましたので、これを契機に一歩一歩前進しようと思います。

アトランティスエッセンス001 の映像は、58分58秒あります。
youtube のリンクは以下です。
長いのですが、是非一度ご覧いただけましたならば幸いです。


アトランティスエッセンス001

よろしくお願い申し上げます。

ハートサポートシステム有限会社
山崎 芳伸



2016年1月7日木曜日

初夢 「まず最初に、自分自身を深く充分に愛する。」

NO.003
私は、夢の中で枕叩きを行った後、夢らしい夢を見ませんでした。
新年を迎え、元旦の夜に、今日は初夢を見ることができるのだろうかと、余り期待せずに布団にもぐりました。

すると、夢の中で、いきなり言われました。

「まず最初に、自分自身を深く充分に愛する。」

私は、久しぶりの夢の中で、その言葉を何度も何度も反芻しました。

すると、木の枠で囲われた地面の角に、筒状のものが埋められてありました。
上が平らで下が少し尖っています。
1月7日なので、その筒の中に七草を入れることになりました。
私は、その筒の近辺にある草の中に、七草の三種類くらい生えているので、それを入れれば良いと思うと、夢が、
「近くの2~3種類を入れるだけよりも、スーパーの七草パックの方がまだ良い。」
と言います。

その後、山梨の友人3人と、コタツを囲んでいます。
私が言った言葉に、一人の友人が、
「なぜ、そんなにひどい言葉を使うのか?」
と尋ねます。

私は、
「深い疑問に対するヒントを得たいために
他者の心深くに届くような言葉を使う。」
と言いました。
その瞬間、私は、自分の言葉に続けて自らが言いました。
「それならば、他者に問うよりも、瞑想した方が良い。」
自分で、その言葉を言った瞬間、もっともだとおもいました。

すると、「愛する」という言葉が聞こえてきました。

場面は変わり、沼に突き出ている木でできた船着場のような板の上に立っています。
板は濡れていて、滑りやすい状態です。

「滑って、硫酸の沼に落ち易い。」と思いました。

私は、夢の中で、変な状況だなと思ったのですが、すぐに、それは、
「まず最初に、自分自身を深く充分に愛する。」
ということを行うことは、
「滑って、硫酸の沼に落ち易い。」
という危険を併せ持つことを示唆してくる情景だなと気がつきました。

「滑って、硫酸の沼に落ちた」状態が、いわゆる、「ニューエイジ、ブラブラ」です。
または、エピクロス学派やエピキュリアン、性のみに固執したタントラや果ては立川流のようなものです。

その後、先ほど出てきた筒状のものの段面の輪郭の図が現れて、それが仙骨であることがわかりました。
仙骨は、第1チャクラと関ります。
第1チャクラは、ウロボロスなので、ユニセックス的だと夢が言います。
第2チャクラで、男女の性別が現れると言います。

最初は、ウロボロスのユニセックス的な第1チャクラから始まっている。
その第1チャクラを充分に深く感じて愛する。

ということを夢から言われました。


明日は、丁度、1月7日です。今日の夜、スーパーに行って七草パックを探すと、丁度1パックだけ残っていましたので、「残り物には福がある」とつぶやいて、その七草パックを買ってきました。

明日、七草粥を作って食べます。




2016年1月6日水曜日

行為とは、夢をこの世にもたらすということだ。夢を実現させなさい。潜在能力を発揮させなさい。それにまさる喜びはない。

No.002 (今回から記事にナンバーリングすることにしました。)

私は、夢の中で枕叩きをした後、目が覚めても、夢の中で何をすれば良いのか、途方にくれていました。
私は、超夢オタクなので、夢の内容が、私の生きがいの一つだったのです。
夢の中で、1982年頃から2~3年かけて、インドから日本まで歩いて帰ってくる夢を、途切れ途切れに見ていたこともあります。
夢の話を書き出すと、本当にきりがないのでこれ以上書きませんが、夢こそ命と思うほどの私が、夢の中で何をしたとしても、一切意味が無いと気がついたことは、足元が失うほどの喪失感い襲われ、しばらくぼーっとしていました。
会社は、すでに冬季休業に入っていたので、ひたすらボーっとしていました。
そんな時、以下の、和尚の言葉を目にしました。

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行為とは
夢をこの世にもたらす
ということだ。
夢を実現させなさい。
潜在能力を
発揮させなさい。
それにまさる喜びはない。
未知なるものを
知りうる世界へと
もたらすことが
できたとき、
創作し、
創造し、
夢を現実にすることが
できたとき、
神に手を貸したとき、
そのときはじめて
真の至福が得られる。
何らかのやり方で、
自分なりのやり方で
世界をもう少し
美しくしたとき、
世界の喜びを増したとき、
そのとき
あなたはサニヤシンだ。

Osho - The Secret Of Secrets 

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この文章を読み、何をすれば良いのかわからない、つまり、どのような行為をすれば良いのかわからなくなった私にとって、「行為とは、夢をこの世にもたらすということだ。夢を実現させなさい。潜在能力を発揮させなさい。それにまさる喜びはない。」という言葉は、涙が出るほどにありがたいお言葉でした。思わず「言葉」に「お」を自然につけたくなるほどのありがたさでした。

私は、現実の自分の行為にも喜びを見出す事ができなくなっていたのです。
「夢を実現させなさい。潜在能力を発揮させなさい。」
私の夢は、いくつかあるのですが、直面している夢は、昨年作ることができなかったアトランティスエッセンスです。
私は、アトランティスエッセンスを実現する道があるのです。
よし、2016年こそ、アトランティスエッセンスを実現させようと、一人で密かに決意して2015年の幕が閉じました。

そして、2016年がやってきました。

次回こそ、初夢について書きます。



写真は、アトランティスエッセンスの作り方を聞いた、ギリシャのデルフィ遺跡です。




2016年1月5日火曜日

2016年1月4日(月)アトランティスエッセンスのブログを始めました。

2016年1月4日(月)アトランティスエッセンスのブログを始めることにしました。

私は、2015年の初頭から、2015年こそアトランティスエッセンスを作ると身近な人達に公言していました。公言すれば、行動が遅い私でも、なんとか2015年中にアトランティスエッセンスを作ることができるであろうと思ったのですが、甘い考えでした。
2015年は、私にとってドン底停滞の年でした。
5月と6月に2回ぎっくり腰になりました。
ぎっくり腰の後1週間ほど横になり、布団から出られるようになって仕事を始めても、土日はいつも横になり、その土日の日数を入れると、なんと合計3週間ほど横になっていました。
2回目のぎっくり腰で横になっていた時に、私は、自分がこの状態から回復することができないのではなかろうかという気持ちになりました。
このようなどん底の時は、「これもまたやがて過ぎる」というおまじないの言葉があるので、思い出したのですが、そのおまじないの言葉は、その時の私には効き目がありませんでした。
その時の絶不調が、これから先に、やがては徐々に回復するなどと言う見込みは、全く感じる事ができなかったのです。
その後、何とか体を動かすことができるようになったものの、仕事は山積みであれど遅々として進まず、ますます仕事の山が増えていくばかりでした。
そして、ようやく、なんとか2015年を無事に終えて、2016年を無事に迎えることができました。

2016年1月2日の夜に見た初夢で、「まず最初に、自分自身を深く充分に愛する」ということを夢から言われました。

私は、2015年12月のクリスマス以降に、ある夢を見ました。
その夢の中で、私は水たまりのある道を歩いていました。
そして、歩きながら、私は歩くことは慣れているので、目を閉じていても水たまりをよけて歩く事ができると思い、目を閉じて歩くことにしました。
案の定、目を閉じながらも水たまりをよけて歩くことができます。
調子にのって、目を閉じながら、地面に足を着かずとも、ぴょーんぴょーんと飛びながら、水たまりをよけて歩く事ができると思いました。
そして、その通りに、目を閉じながら、ぴょーんぴょーんと地面に足を着けることなく、水たまりをよけながら歩く事ができます。
私は、得意げな気持ちになりました。
そして、その気持ちが有頂天に達した時、ふと思ったのです。
これは夢の中であることは明らかであり、その夢の中で、目を閉じて、地面に足を着けずに飛ぶように水たまりをよけて歩くことができても、なんにも意味は無いではないかと気付いたのです。
私は、その夢の中で、その状況が夢であることをはっきりと認識していました。
その、なんにも意味は無いという気づきは、私に大きな衝撃を与えました。
夢の中で、何かをしても、それらは一切、何の意味も無いのです。
夢の中ですることは、何も意味が無いのです。
私は、途方にくれて、夢の中でたたずみました。
私は、これから夢の中で何をすれば良いのだろうか?
何をしても、一切意味が無いことが明らかになったのです。
自分がこれから夢の中ですることを考えると、少し茶色っぽい空間が現れ、何もないのです。
私は、何をしたら良いのかわからなくなり、力をなくして崩れ落ちるように地面にしゃがみ込みました。
すると、目の前に、私がいつも使っている枕があります。
そこで、両手で枕を叩き始めました。
枕はテンピューロなのですが、叩くと敷石を叩いているようなカンカンという音共に確かな手ごたえがあります。
この手ごたえは本物だと、叩くたびに思い、何度も何度も枕を叩き続けていました。

そこで、いつのまにか夢は終え、目が覚めました。
私は、夢の中で、枕叩きをしたことを、珍しい夢を見たと、少し得意げな気持ちになりましたが、それもまた、何も意味がないことであることは、夢の中で気付いた通りなのです。
その後トイレに行き、再度寝ました。

それ以後は、夢を見たような気もするのですが、はっきりと覚えていません。

私は、30年以上前に、ユンギアンの秋山さと子氏のドリームセミナーに足掛け2年間通い、最後は、途中でインドに行きました。1981年の頃です。
それ以前も夢日記を2年間くらい書き続けていて、夢を見ることは得意だと自分で思っていました。
インドのOSHOという人が、夢の中でバンザイをすることができればたいしたものだと言っている文章を読み、1ヶ月くらい毎晩毎晩寝る前に、夢の中でバンザイをしようと思って眠りについたこともありました。
1ヶ月くらい続けていると、だんだんとバンザイができそうな感じになり、今日こそバンザイができるだろうと確信して、夢の中で、今だと思い、思いっきりバンザイをすると、現実の私の手がバンザイをした瞬間に目が開いていました。
私には、夢の中でバンザイをすることは無理だとわかり、それ以後は、夢の中でバンザイをしようとすることは止めました。

そんな私が、何日も夢の一場面も思い出せないことは、とても珍しいことなのです。

1月2日の夜に、今日夢を見ることができれば初夢になると思い、布団にもぐりました。

そして、2016年1月2日の夜に見た初夢で、「まず最初に、自分自身を深く充分に愛する」ということを夢から言われました。

この初夢は、後日書きます。